日常を抜け出し、気分転換をしてみませんか?

パリから飛行機で1時間、スペインから数キロのところに、別世界が待っています。ピレネー=アトランティック県の半分という小ささとはいえ、バスク地方は正真正銘の観光地、観光客が一年中訪れます。夏の観光シーズン以外の時期にも、タラソテラピー、ゴルフ、祭典、商用観光などで、ますます多くの観光客が訪れるようになっています。極端になりすぎることのない気温のおかげで、冬でもしばしばとても心地のよい日があり、とりわけ秋はその穏やかな気候で知られています。

バスク地方の人々は、人生を享受しています。どの道の十字路にも小さな発見があり、お祭りのあるときにはいつも不思議なことや詩的なことが起こります…海と山、ベレーを被った aitatxis(バスク語で「おじいさん」の意)とカリフォルニアにいるようなサーファー、bertsus(訳注:歌を伴った、韻を踏む詩の即興演奏)にバスクロックと、文化や香り、味わい、そして風景といったものが心地よく調和した、コントラストに富む国なのです。

 

" こがね色の光を分かち合うためにくる君、そして移り気な水平線の宴の席につくためにくる君、

優しい気持ちだけを伴ってこい、浮き世からはなにも持ち込むな、

そして、人々の言うことを語らないでくれ。 "


このこがね色の光を分かち合いにいらっしゃいませんか。この小さな国でつかの間の息抜きをする手がかりになるヒントをこっそりお教えしましょう。意外性のある場所を見つける旅への誘いです。バスク地方では、どの村も一編の詩のようなもの。教会、フロントン(訳注:バスクのスポーツであるペロタ用のコート)、家屋は、バスクの生活とは切り離すことのできないものです。トランケ(ペロタを行う場所)を兼ねていることの多いバーもまた、日常生活における大切な場所の一つです。

日曜日の朝11時、鐘が鳴り、礼拝が終わります。大きな扉の前で女性たちはおしゃべりをし、家や村の近況を楽しく話し合います。夫たちはいそいそとostatua(バスク語で「ビストロ」)に集まり、おいしいパチャラン(野生のスロープラムでできたお酒)を囲んで休息日を喜びます。少し離れたところではベレーをきっちりと被った年寄りたちが長いすに腰掛け、大きなフロンチス(訳注:ペロタ競技において、球を打ちつける正面の壁)に向かってペロタの激烈な試合をするこどもを、興味深く見守っています。広場の王様フロンチスは、何世紀にも渡る古い伝統を、いまに伝えています。これがバスク地方の日常風景です。

 

気ままに旅することのできる国

なにかに熱中したり、壮大さに触れたりしたいと思いませんか?あるいは谷底の小さな村でひとやすみしたりしたくはありませんか?
きらびやかなビアリッツからつづまやかなスール地方まで、お好みに合う、またどんな予算にも見合う場所が、バスクには必ずあります。谷の多いこの地方は、1日あればそのすべてを見ることができます。バスクでは、いちばん長い距離でも100kmを超えることはないのです。ただし道は狭く曲がりくねっていて、村々はひしめきあっています。そして羊は道端で草を食んでいます。丘と大洋、牧草地と崖、あるいは漁師とサーファーといった牧歌的な調和が広がるラブール近郊から、旅路は始まります。

バイヨンヌは最も都会的ですが、強く心惹かれる街でもあります。バスク地方における経済・商業・港の中心地であり、現在ではバスク地方の最も重要な心臓部となっています。それでもなお歴史に富み、魅力の溢れる街であり続けているのです。大西洋に注ぐ前のニーヴ川とアドゥール川は、この地で合流します。ヴォーバンの代表作品である城壁や砦だけでなく、大聖堂、ハーフティンバーの家並み、狭い道、チョコレート屋のアーチ状建築などは、バイヨンヌの街に重要な歴史的意味合いを持たせています。

バイヨンヌは、復活祭の時期に開催される生ハム祭り、5月のチョコレート祭り、そしてなんといってもバイヨンヌ祭りで知られています。バイヨンヌ祭りは毎年8月の第1水曜日夜10時に始まります。祭りの5日間、街の雰囲気は一変し、人々は白と赤の洋服を身につけてfestayres(訳注:「祭りで浮かれ騒ぐ人」の意)のリズムに合わせて活気づくのです。

もっと南へ行くと、サン=ジャン=ドゥ=リュズへと続く二つの心地よい小さな海浜リゾート、ビダールとゲタリに辿り着きます。サン=ジャン=ドゥ=リュズは、マグロ漁船のロープがルイ14世広場の建物の窓を打つ、海岸に接する大西洋の港町です。1660年に太陽王がマリ=テレーズと婚礼を行った素晴らしい教会、初夜を迎えた家を訪れましょう。砂浜沿いには独特な、そして高貴な雰囲気のホテルが立ち並んでいます。昔の船主たちの邸宅や美しい別荘です。道の多くは歩行者天国になっていて、涼しさを求めてのんびりと気持ちよく散歩をすることができます。お買い物好きにとって、ここは天国でしょう。とりどりに彩られた小さなブティックがたくさんあり、最新流行から伝統的な手仕事まで、なんでも見つけることができます。ルイ14世広場では、絵描きが野外音楽堂の周りで作品を陳列しています。アペリティフやコーヒーの時間を賑わしに、バスクのコーラスグループが来ることもしばしば。夕方になって、ダンスパーティーが始まれば、 toro de fuego(花火を使った見世物。訳注:闘牛をパロディにしている)が群衆に向かって紙吹雪とともに、幸せを(あるいは恐怖を)まきちらします。

スール地方のすぐそばには高い峰がそびえています。なだらかな形状を呈する豊穣なバスク地方の山は、激しいスポーツの愛好者やハイカーを喜ばせる、峡谷、岸壁に挟まれた細い谷筋、洞窟や深い穴、といった険しく厳しい大地の隆起を包み込んでいます。イラティ、ラロ、サン=タングラスは世界の果てにある小さな村々です。スレート葺きの屋根の家屋や三つの尖塔が連なった鐘楼(訳注:教会の正面に設置された鐘楼で、スール独特の様式。三つの突端が三位一体を意味する)は風景にすっかり溶け込んでいます。この地方はまた、エスパドリーユや仮装行列、カーニバルでも知られています。

 

 

バスク地方の人々は、よその地域との違いを誇りにしています。

では、バスク人はどこから来たのでしょうか。そのルーツはいまも解っていません。意見は分かれても、好奇心がなくなることはありません。中央ヨーロッパコーカサス出身の民族でしょうか。それとも遠い昔、この地に根を下ろした人々がいたのでしょうか。研究者も、この謎を確実に解き明かすことに成功してはいません。一つ確かなことは、バスク人が、バスクの豊かさを生み出す、よその地との違いを自覚している、独特の存在であるということです。その違いは、発音(C は外来語のみに使い、C の音にあたるものは K で表記するなど)においても文法(12の格変化があるなど)においても文の組み立てにおいても一種独特の複雑な、バスク語という言語に現れています。

バスク語の語彙はフランス語のそれよりも限られたものですが、時代の流れとともに、現代の実情に合わせるため、また微妙な意味合いを言い表したりするために、イベリア語、ラテン語、ロマンス語、アラブ語、そしてフランス語やスペイン語などが最近になってバスク語化されています。そのうえ、意味を変えるような接尾辞、形容詞、あるいは名詞をつけ加えるだけで、一つの単語が別の語になることもあるのです。

いまでもバスク語は、生きた言語であり続けています。市場、エスプレット(訳注:バスク地方の町)、サン=ジャン=ピエ=ドゥ=ポル(訳注:同)あるいはタルデ(訳注:同)ではバスク語の音やリズムにあふれています。バスク語協会 Euskaltzaindia(訳注:バスク語保存のために設立された協会)の保護活動によって、幼稚園から高校ではバスク語教育が行われています。高校卒業後も、高等専門教育や大学での教育をバスク語で受けることができます。大人向けの講座や新聞、ラジオ、テレビといった地域メディアもそれぞれに、バスク語保存に貢献しています。多元的な文化をいまに伝える、伝統に結びついた一言語でありながら、進化し続ける言語でもあるのです。

2008年8月8日(金)、9日(土)にモレオンスールの城で行われる HERRIA という音と光の祭典は、スール地方の主要な行事の一つです。280人を超えるボランティアが、3ヶ月以上にも渡り、生き生きしたショーのリハーサルを繰り返します。2007年のショーの様子です。

 

2007年モレオンスールの城で開催されたHERRIA

 

《バスク人は歌う。至るところで歌う。家で、教会で、道端で、田舎で。悲喜こもごも、いずれのときにも歌う。梳られたように倒れてゆくシダを、身体を曲げて刈るときも、圧搾機でりんご酒をほとばしらせるときにも、歌うのである》。バスクの著名な作曲家であり音楽学者であるアイータ・ドノスティアのこの一節が示すように、まるで日常生活におけるすべての行為とともに行う儀式のように、すべてを歌にするのがバスクの文化です。20年前までこの歌は、ベルツ(訳注:歌を伴った、韻を踏む詩の即興演奏)であるということで特徴づけられていました。ベルツにはしばしば棘があり、人々の生活の真の記録であることを示すものだったのです。

アエツェ(訳注:バスク地方の町)のマッティン(訳注:アエツェ出身の現代の即興演奏アーティスト)とウレペル(訳注:バスク地方の町)のシャルバドール(訳注:フェルナンド・エール=エツァルト。1920-1976。ウレペル出身のベルツ歌手)はベルツを語る上で重要なふたりです。若者、少年少女がこの伝統を口承しています。現在、ベルツはいくつかの学校で学ぶことができ、再び息を吹き返そうとしています。バスク地方のテレビで生中継されるベルツの大会も企画され、多くの参加者と観客を集めています。

 

シャルバドール

偉大な詩人、ベルツの象徴であるこの人物は、この50年のバスク史とは切っても切り離せない存在です。人々やそのルーツに徹底的にこだわり、どこまでも人間味のある人物像を描いたシャルバドールの歌詞は、いまの世にもじゅうぶんに通用します。それを示すように、ミケル・ラボア(訳注:1934−2008。サン・セバスチャン出身のバスクの歌手、及び作曲家)の《Herria ta hizkuntza》が言葉と未来について賢明に歌っています。どの祭りでも必ず歌われるウレペルの羊飼いの年代記 « Nun hago » はシャビエル・レテ(訳注:1944−2010。サン・セバスチャン出身のアーティスト)によって見事に再生され、シャルバドールへの感動的なオマージュとなりました。バスクの歌はいま活気に溢れています。イマノル、ベニート・レルチュンディ、ミケル・ラボア、シャビエル・レテらはバスクのスポークスマンのようなものです。一方、80年代には、バスクロックグループの急増により、バスク民謡はすっかり一変しました。スタガル、ネグ・ゴリアック、スストゥライアやその他のグループがその世代のアイドルとなり、バスク文化の順応性と現代性を証明したのでした。

 

楽器

チストゥ(訳注:バスク音楽に欠かせない縦笛の一種)、ガイータ(訳注:バグパイプのような楽器)そしてチャラパルタ(訳注:木と石でできたバスクの楽器)は何世紀も前からある、大衆音楽の楽器です。世界各地に広く知られている三穴の縦笛、チストゥには、シルラとチストゥの2種類があります。

チストゥはバスク地方の生活において重要な役割を果たす楽器です。結婚や葬儀といった重要な儀式であっても村の祭りといったようなものであっても、同じことです。アラビアに由来を持つと思われる(マグレブにAljaïtaという似たような単語がある)ガイータですが、リードの二つついたこの楽器は、中東の音色を思わせます。道端や広場で鳴らされる力強く鋭い楽器は、大衆文化に欠かせないものです。木の板をリズミカルに打つバトン、チャラパルタは、いっぷう変わった楽器ですが、その由来は謎に包まれています。1年の農作業の終わりを祝う祭りのような習慣に結びつける説もあれば、アケラーレ(訳注:魔女あるいは悪魔崇拝の集会)のような異教の儀式に関連づける説もあります。70年代に姿を消そうとしていたチャラパルタですが、ロックグループやスカのグループに完全に溶け込み、バスクの表舞台に再び姿を現しました。バスク特有の全音階アコーディオンであるトゥリキティシャについても同じことで、トゥリキティラリ(訳注:トゥリキティシャ奏者)であるケパ・フンケラ(訳注:スペイン・ビルバオ生まれ。1965-)のおかげで近年音楽シーンに再び登場するようになりました。

2007年の HERRIA でのミュージシャンたち

 

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